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気まぐれ連載コラム!

牡蠣のちょっといい話!?
第7回 「広島 vs 宮城」

牡蠣と聞いて、まず思い浮かべるのは広島ですよね。そして、宮城。広島と宮城、ちょっと不穏な空気。広島と言えば、日本三景安芸の宮島。宮城と言えば、日本三景松島・・・
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  • 第6回 「牡蠣の殻の行方」
  • 第5回 「牡蠣四方山話」
  • 第4回 「広島牡蠣は、海のミルク」
  • 第3回 「牡蠣?牡蛎?カキ?」
  • 第2回 「牡蠣は大水飲み」
  • 第1回 「何年前?」

生食用と加熱調理用について

牡蠣の生食用と加熱調理用は、採れた海域の違いによるものです。鮮度の差ではありません。

広島の匠

アントチーズ

梅坪

広島牡蠣養殖の歴史

広島牡蠣は、450年の歴史。

広島で牡蠣の養殖が始まったのは「天文年間(1532年〜1555年)、安芸国において養殖の法を発明せり」(「草津案内」大正13年発行)と 記されているように、16世紀半ば(室町時代末期)のことだとされています。その当時の養殖法は、干潟に小石を並べて牡蠣を付着させ育成を待って収穫する 「石蒔(いしまき)養殖法」でした。450年以上の歴史を経て、現在は四角い筏(いかだ)から牡蠣の種を持った貝殻を棒につけて垂らし、成育を待って収穫 する「筏式垂下(いかだしきすいか)養殖法」です。

 

かき養殖方法の変遷


【石蒔養殖法】

 

【地蒔式養殖法】

【石蒔養殖法】

干潟に小石を並べて、牡蠣を付着させ成育を待つ養殖方法です。

 

【ひび建養殖法】

竹や雑木を干潟に建て、牡蠣を付着させて成育を待ちます。昭和のはじめ頃まで、約300年間行われてきました。

 

【地蒔式養殖法】

ひび建養殖法で途中まで育てた牡蠣を落として干潟の砂上に直接置いて、成長・肥満をはかる養殖方法です。生育するのを待って収穫します。

 

【杭打垂下法】

干潟に、高さ130cmくらいの棚をつくり、これに貝殻と竹の管を交互に通した連をぶら下げて採苗や育成を行う養殖方法です。大正15年頃から はじまりました。ひび建養殖法と比べると、作業は能率的です。

 

【筏式垂下養殖法】

干潟の棚ではなく、筏に連をぶら下げ、成育を待って収穫する養殖方法です。昭和25年頃から、杭打垂下法は筏式垂下養殖法へと発展していきまし た。それまでの養殖方法は、すべて干潟を利用したものでしたが、干潟の場合、1日のうち8時間は干出するので身がそれほど大きくはなりませんでした。ま た、戦後、干潟の大半が埋め立てられたという事情もありました。

 

広島かき養殖の歴史年表

1532年(天文年間) 安芸国において養蠣法を発明せり(草津案内)
1619年(元和5年) 8月8日浅野長晟和歌山より海路広島に入城(自得公済美録)
1627年(寛永4年) 和泉源蔵が大井に住み着き、雑木を立てて養殖を試み、さらに竹を立てて完全に成功し、それ以後盛んとなる(矢野町史)
1624年〜1650年
(戦国末江戸初期)
山岡某という人が、牡蠣の密着したヤマツゲの木を見て始めた(矢野町史)
1659年(万治2年) 海田市、養殖場を村役場より戸毎に分当し、一戸に二間口を配当し営業(19年慣行届)
1662年(寛文2年) この年仁保島東新開、同西新開の干拓に着手する(玄徳公済美録)。西新開の地中に往々ひび株の存せることありという、これより干拓以 前に八重ひびのありし明らかなり(勧業雑報)
1663年(寛文3年) 牡蠣、在安南郡海田其色白其味甘出干佐西郡草津海亦可也(芸備国郡志)
12月伊豫松山の城主松平定行は安芸国広島より蠣七拾俵を購入し領内浦々に移す(伊豫本藩譜)。此頃広島にも蠣甚だ多からず豪富のみ鮮食をなす。其価は一 合凡そ一百文なりと(垂憲録) 草津案内より
1673〜81年
(延宝年間)
草津村、小西屋五郎八、蛤蜊等小貝養育場の周辺の竹枝に附着した牡蠣の成育状況の速なることを認め養殖法を考案(成跡書)
小西屋五郎八等数名の発意により販路を大阪に開く(成跡書)
1684〜88年
(貞享年間)
広島牡蠣を盤城に移植して松川蠣の名世に知らる(大日本農史上) 草津案内より
1688年(元禄元年) 河面家四世祖仁右衛門及び弟西道朴等の尽力に依り海面使用等大阪表へ販売方其筋の免許を得(成跡書)
1700年(元禄13年) 三次藩奉行林金右衛門牡蠣仲間取締方村役人へ命令(小川家文書)
1701年(元禄14年) 村役人より牡蠣仲間へ取締法を示達(小川家文書)
1708年(宝永5年) 宝永4年12月29日大阪大火の折小西屋五郎右衛門等の功により大阪町々橋下にて牡蠣売事営業を免許される(小川家文書)
1711年〜16年
(正徳年間)
仁保島村牡蠣船大阪に進出販売する(小川家文書)
1717年(享保2年) 幕府の巡見視に書き出した、広島藩領分の名物として、海田牡蠣、仁保島海苔が記されている(広島藩覚書)
1735年(享保20年 年寄庄屋より牡蠣仲間取締方追加命令(小川家文書)
草津牡蠣株人別改に、株主25名本株2つ、1株3つで56と記す(小川家文書)
1716年〜36年
(享保年間)
海田市、養殖場は譲与或は売買することになり、証書へ村役所奥書調印する(19年慣行届)
矢野村、村内3〜4名の者区画を定むるなく牡蠣の附き易き場所を適撰しひびを設け採蠣す(19年慣行届)
矢野村、先年御船手支配之持御船奉行植木小右衛門様より御免を蒙り享保之頃よりひび差来り候義と申伝候尤其節御分被下候人別は四拾弐人之由承伝候(矢野村 書出帖)
1743年(寛保3年) 仁保島村は三拾年余以来蠣商売船登し、初め三人乗七艘であったものが近年拾四艘四人乗となり、拾八艘となって、草津蠣仲間の申立によ り、壱艘三人乗と申渡さる(小川家文書)
1745年(延享2年) 仁保島村(藻崎)の養殖は庄屋半三郎より金兵衛外拾七名へ流失となる(19年慣行届)
1755年(宝暦5年) 江波島、仁保島村潟境争い裁許状に魚ひび建のことを記す(江波漁協文書)
1767年(明和4年) 丹那浦、中屋伊平牡蠣ひびを試み好結果ありしより、中屋伊平外百拾八名許可を得、夫々境界をなし営業(26年漁業制度取調書)
海田市、矢野、草津村の無株者九人の牡蠣船大阪近辺販売差止を、草津牡蠣仲間歎願(小川家文書)
1781年(天明元年) 坂村、伊豫屋利助、小石を集め養殖(19年慣行届)
1783年(天明3年) 日宇那浦、吉野屋惣五郎等、牡蠣及貝類の養殖を創業(19年慣行届)
1784年(天明4年) 坂村、伊豫屋利助、ひびを立てて牡蠣を養殖する(19年慣行届)他に倣わずしてひび立の法を独創せりと云えり(広島県の水産)
1785年(天明5年) 江波島西潟において八重ひび差立につき、草津村磯稼人と争い起る(小川家文書)
1787年(天明7年) 日宇那浦、山本屋清二郎牡蠣ひび立の方法及び貝類養殖の工夫をなし盛大となり各自区画専用を始める(19年慣行届)
1781年〜89年
(天明年間)
矢野村、区画を定め弐拾五六名の専用となる(19年慣行届)
1799年(寛政11年) 山海名産図絵に広島牡蠣畜養の法を載せる
1789年〜1801年
(寛政年間)
坂村、高屋川下流に伊豫屋利助が海田の牡蠣養殖をまねて始めた(坂町郷土誌)
1801年〜04年
(享和年間)
矢野村、ひび場を測量し間数堅弐町横九町と改定せられたり、其当時免許を受けしことあり所有者四拾五名と確定せられし由(19年慣行 届)
当時ひび持主六拾五人御座候(矢野村書出帳)
1805年(文化7年) 日宇那浦、大風雨により養殖場損害を受け中断す(19年慣行届)
1813年(文化10年) 観音、広瀬村の者、牡蠣ひび差立願出るが差止めとなる(小川家文書)
1814年(文化11年) 仁保島丹那浦地先ひび場免許図に八重ひび12を記入し9つに氏名、番号を入れる、蠣床生場は新開沖に100間×250間、楠那浦沖に 200間×350間を記入す(丹那漁協文書)
1815年(文化12年) 牡蠣座之牡蠣を追々取上げ遠近の差別無く商い仕申候、遠方他領にては、堺、尼崎、兵庫、高砂、赤穂、明石、須本、高松、丸亀、松山、 西条、今治、大洲、三津浜、玉島、福山、松永、三田尻、下関、小倉へ輸送し販売(矢野村取調帖)
1816年(文化13年) 丹那浦伊兵衛、紀州商人と結び泉州岸和田へ登し、「和歌浦名産牡蠣」として大阪に売出す(小川家文書)
1817年(文化14年) 牡蠣仲間、他国よりみだりに大阪にて牡蠣を不申様との含みをもって大阪倉屋敷へ上納金を申出る(小川家文書)
1822年(文政5年) 草津牡蠣仲間支配人文次より願出、牡蠣仲間株主共取締法を改定し、年番五人を置き取締る(小川家文書)
1824年(文政7年) 新開組の者、観音村新開沖へ魚ひび建のことを願出るが許されず(小川家文書)
1825年(文政8年) 草津村、貝生場防備のための波止場築調方願出、波止場内に新しく活場免許(小川家文書)
草津村と仁保島との藻崎牡蠣活場所有権争い終る(小川家文書)
1830年(文政13年) 大阪商人岡田屋嘉兵衛、京都の牡蠣商事及び御所へ上納を計画する(小川家文書)
1819年〜30年
(文政年間)
坂村横浜では花房徳兵衛、船越のものをまねて牡蠣ひびを設けた(坂村郷土誌)
1830年(天保元年) 仁保島本浦中古屋林蔵、京都に蠣店を開店し、牡蠣の過剰生産が浮び出る(小川家文書)
1832年(天保3年) 売買証文に「茂崎石蠣生場」の文字が見られる(小川家文書)
1840年(天保11年) 広瀬、観音村の者の拾い牡蠣を戒める(小川家文書)
坂村出身忠八郎、備前産牡蠣を「天保山名産牡蠣」として大阪で販売し差止めらる(小川家文書)
1844年(天保15年) 江波村、仁保島村潟境改図に八重ひび27記入あり(江波漁協文書)
1847年(弘化4年) 草津牡蠣仲間、大阪に牡蠣販売留守中の雇人取締条目を設定(小川家文書)
1848年(嘉永元年) 厳島、浜役所にて試みに牡蠣を育養(19年慣行届)
1850年(嘉永3年) 茨木屋武兵衛、牡蠣の京都販売計画を立て願い出る(小泉家文書)
1851年(嘉永4年) 江波村、上方筋は用捨致し地方下筋売捌可申条件付で積年の牡蠣ひび刺の願聞届らる(小川家文書)
1861年(文久元年) 廿日市村、牡蠣ひび場は山代政治、三輪弥助の発起にて本業と起し営業(19年慣行届)
1862年(文久2年) 磯稼の者と牡蠣生場紛議起り、草津牡蠣仲間の訴えにより、磯稼の者の貝生場にて作り牡蠣することを禁ず(小川家文書)
草津牡蠣屋、宮島室浜沖へ種牡蠣生場免許さる(取調書)
1869年(明治2年) 牡蠣仲間連名にて大阪市中の川中拝借願を出す。草津21名、仁保8名の営業場所、氏名を記す(小川家文書)
1872年(明治5年) 6月1日をもって八重ひび28ケ所悉皆除去す(勧業雑報)
草津牡蠣仲間犠定書を定め、牡蠣株仲間の持株を改め大阪商事の結束を計る(小川家文書)
1873年(明治6年) 草津沖、江波村西潟、仁保島淵崎、向灘、本浦、坂村沖、牡蠣ひび場を改めて免許(取調書)
1875年(明治8年) 大野村堤沖、深江沖、坂村森山、水浦、牡蠣ひび場免許(取調書)
1878年(明治11年) 八重ひび再興する。渕崎1、丹那浦2、大河浦19、江波村18、計40ヶ所(勧業雑報)
草津村地先牡蠣ひび場10町歩潮来彦右衛門外9名、草津村地先牡蠣ひび場8町6反8畝23歩木田善助以下15名、仁保島藻崎11町6反20歩池田治右衛門 外530名に免許(取調書)
草津村牡蠣造稼人、仁保島茂崎へ入作を願い出るが、明治14年に至るも果せず(取調書)
1880年(明治13年) 日宇那浦、小堀辰二郎養殖場を再興す(19年慣行届)
1881年(明治14年) 広島県において捕魚採藻規則を定め区画専用権を与えらる(広島県の水産)
廿日市地先牡蠣ひび場2反歩、草津地先牡蠣ひび場10町歩潮来彦右衛門以下10名、藻崎蠣ひび場6町5畝20歩510名、坂村地先牡蠣ひび場32町5畝 11歩37名に免許(取調書)
1883年(明治16年) 牡蠣船数、草津村22、渕崎浦6、本浦4、向灘浦2、海田市5、矢野30、坂村7、計77(勧業雑報)
1884年(明治17年) 宇品築港起工式挙行、同23年落成式(新修広島市史)
1894年(明治27年) 箕作佳吉、広島県下安芸国養蠣事業概況を調査報告す(水産調査報告書)
1897年(明治30年) 村田保、安芸国養蠣之碑文を撰す(成跡書)
1902年(明治35年) 漁業法施行され、漁業権を設定免許する(広島県の水産)
1923年(大正12年) 水産試験場草津支場竣工、養殖担当の技術員を配置す(広島県の水産)
1926年(大正15年) 水産試験場、厳島米ケ窪に垂下養殖試験地を設定し、垂下式養蠣法を取入れ、実入促進に関する試験を始める(水産試験場要覧)
1927年(昭和2年) 草津村高橋定一、水産試験場の指導を得て、杭打垂下法による実入促進養殖法を試みる(新修広島市史)
1927年(昭和2年) 定置漁業権に八重ひび14が広島欄に記さる(広島県の水産)
1929年(昭和4年) 水産試験場、介殻による採苗を導入し、採苗法の改善に関する試験を開始、昭和7年より水産増殖事業として種苗の養成配布を開始する (水産試験場要覧)
1931年(昭和6年) 広島牡蠣の声価の維持と経営の安定をはかるため、広島県養蠣水産組合を設立する(水産試験場要覧)
1932年(昭和7年) 広島県牡蠣営業取締規則を定め衛生設備を整えさせる(水産試験場要覧)
1940年(昭和15年) 広島工業港建設起工式挙行さる、この工事により八重ひび9統の総て姿を消す(広島工業港)
1942年(昭和17年) 鮮魚介配統制令により広島県牡蠣配給統制株式会社設立
1949年(昭和24年) 漁業法を制定公布さる
水産試験場にて種牡蠣抑制試験
1951年(昭和26年) 牡蠣の大量斃死に耐える種苗抑制試験を始める
食品衛生条例を制定し牡蠣衛生に努める
1953年(昭和28年) 江波沖において孟宗竹製養殖筏試験、以後普及
1958年(昭和33年) かきの処理をする作業場に関する条例制定、34.1.25施行
1960年(昭和35年) 特別処理かき標示要綱を制定
広島県輸出向生鮮冷凍かき処理業者登録条例制定
1967年(昭和42年) かきの処理等に関する条例改正、かき対策協議会設置、清浄無菌かき加工設備に改善
1968年(昭和43年) この年の養殖生産量、30,576トンとなり最高生産量となる
1970年(昭和45年) 広島県かき振興対策協議会発足

 

(出典 「広島かき」 広島かき出荷振興協議会 1977年3月25日発行)